2011年10月08日
和歌山商工会議所 主催の 第63回わかやま商工まつり 開会式および表彰式典に出席して、地場産業の優れた技術を活かしてつくられた製品を展示・体験する産業展で 農商工連携事業開発商品 のPRコーナーや東日本応援ブースを視察した。今年は和歌山商工会議所創立130周年記念パネルや歴史を振り返る年表などの出展で趣向を凝らした展示が目白押し。
2011年09月27日
台風12号による未曾有の大災害で県内で多数の尊い命が失われました。亡くなられた方に心から哀悼の誠を捧げると共に、被災された皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
私は直後から古巣のNTTに連絡して固定電話、携帯電話の早期復旧や臨時通信手段の確保に取り組んできた。また被害を受けなかった紀北の支持者からのミネラルウォーター等の取り次ぎも行い、断水に苦しむ地域に届けるといったことも行ってきた。
ただ現地の視察だけは自粛してきた。政府の災害担当の役職にない一国会議員が現場に入ってもできることは限られている。議員が現地に入るだけで、必死に対応にあたっている行政関係者の足手まといになりかねない。こういう災害が発生した時には視察に来た大臣等の後ろに立って必死にマスコミのカメラに映り込もうとする政治家がいるが、見苦しいパフォーマンスだと言わざるを得ない。
発災から数日たって、野田首相や谷垣自民党総裁の視察を受け入れることができるようになったことを受け、私も現地に入りすることにした。現地自治体の担当者に迷惑をかけないように配意し、一部を除き地元の県議、市町議や後援会幹部に案内してもらうようにした。
9日から11日まで3日間かけて、那智勝浦、新宮、旧熊野川、古座川、田辺、日高川、旧本宮、旧龍神の被災地をみっちりと回らせてもらった。また18日にはみなべ町の状況も視察した。
あまりの惨状に言葉も出なかった。山が頂上からえぐり取られるように崩落し、住民が行方不明になっている現場にも入った。家の上に家が載っていたり、崖の中腹に車がぶら下がっていたり、私がよく通った森林組合や道の駅が建物ごとなくなっていたり、橋が落ちていたり、まさに「山の津波」におそわれたという状況であった。東北の被災地を何度も訪問しているが、今回の被災地も同じような光景だ。
今回の被災地はすでに過疎化に苦しんでいる地域である。20日に激甚災害指定が閣議決定されたが、従来の激甚災害対策の枠組みには限界がある。甚大な被害を受けた過疎地域の復旧のために補助金のかさ上げや無利子融資を提供しても受けるだけの基礎体力がない。東日本大震災の被災地と同じように国が前面に出て復旧を行っていくしかない。
また、これからは家屋に積もった泥や瓦礫(がれき)の清掃・撤去を行う段階に入ってくるが、やはり民間ボランティアの協力が不可欠だ。すでにボランティアセンターが開設されているが、東北で活躍した有力なボランティア団体等を受け入れていくことも重要だ。
深刻な被災状況については枚挙にいとまがないが、今後の復旧や生活、地域経済への影響を考えた場合に深刻なのは幹線国道、鉄道が深刻なダメージを受けていることだ。崖崩れや路面崩落により国道168号は緊急車両以外通行できない部分がある。国道311号の滝尻王子付近は土石流で埋まって完全に寸断されている。紀勢線はいまだに鉄橋の復旧が進まないまま不通区間がある。まずは交通インフラの完全復旧を急ぐことが重要で、このことが他分野での復旧のスピードアップにもつながり、紀南の生命線である観光産業の復興にもつながる。 和歌山県にとっては大きな試練となった今回の災害であるが、県選出の参議院議員として復旧・復興に全力で取り組んでいきたい。
2011年09月19日
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う 敬老の日 (毎年9月の第3月曜日)に、 和歌山市 内の各自治会館や集会所で開かれた各種敬老イベント会場を訪れ、地元市民や関係者らと最近の政治情勢について懇談した。地元支援者主催の国政報告会で9月20日に 激甚災害 に指定される見通しの台風12号被災地対策について講演した。
2011年09月18日
9月20日の閣議決定で正式に 激甚災害 に指定される見通しとなった 台風12号 の被害状況を把握するため、和歌山県 みなべ町 の小谷芳正町長と土砂災害地域や家屋の倒壊現場を視察し、地元住民らと二次災害対策について意見交換した。近畿地方らに上陸する恐れのある台風15号の接近に伴い、和歌山・奈良両県では豪雨でできた土砂ダムに警戒が必要。
2011年09月17日
台風12号により県内で多数の尊い命が失われました。亡くなられた方に心から哀悼の誠を捧げると共に、被災された皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
私は直後から古巣のNTTに連絡して固定電話、携帯電話の早期復旧や臨時通信手段の確保に取り組んできました。また被害を受けなかった紀北の支持者からのミネラルウォーター等の取り次ぎも行い、断水に苦しむ地域に届けるといったことも行ってきました。
ただ現地の視察だけは自粛してきました。政府の災害担当の役職にない一国会議員が現場に入っても出来ることは限られています。議員が現地に入るだけで、必死に対応にあたっている行政関係者の足手まといになります。こういう災害が発生した時には視察に来た大臣らの後ろに立って必死にマスコミのカメラに映り込もうとする政治家がいますが、見苦しいパフォーマンスだと言わざるを得ません。
発災から数日たって、野田首相や谷垣自民党総裁の視察を受け入れることができるようになったことを受け、私も現地入りすることにしました。現地自治体の担当者に迷惑をかけないように配意し、一部を除き地元の県議、市町議や後援会幹部に案内してもらうようにしました。
9日から11日まで3日間かけて、那智勝浦、新宮、旧熊野川、古座川、田辺、日高川、旧本宮、旧龍神の被災地をみっちりと回らせてもらいました。あまりの惨状に言葉もありませんでした。家の上に家が載っていたり、崖の中腹に車がぶら下がっていたり、私がよく通った森林組合や道の駅が建物ごとなくなっていたり、まさに「山の津波」におそわれたという状況でした。
深刻な被災状況については枚挙にいとまがありませんが、今後の復旧や生活、地域経済への影響を考えた場合に深刻なのは幹線国道、鉄道が深刻なダメージを受けていることです。崖崩れや路面崩落により国道168号は緊急車両以外通行できない部分があります。国道311号の滝尻王子付近は土石流で埋まり完全に寸断されています。鉄道は白浜で折り返し運転の状況です。
まずは交通インフラの復旧を急ぐことが重要で、このことが他の復旧のスピードアップにもつながります。一日も早く政府に激甚災害指定を求め、復旧予算を確保できるよう取り組んでいきます。