2004年09月28日
前々回の本欄にも書かせてもらったが、埼玉8区の補欠選挙をきっかけに、安倍晋三幹事長が進める党改革検証・推進委員会の「政治とカネのあり方」部会長に任命され、党改革のもっとも難しい分野を担当することになった。6月2日には党改革の中間提言としてまとめられ、政治とカネについては、党から議員への現金手渡しの慣行(いわゆるモチ代)を廃止することなどを決めた。現金手渡しなどというのはあまりに前近代的な慣行である。党活動上必要であれば、政党支部に対して振込みを行えばいいだけの話である。しかしこの政治とカネの改革には党内の抵抗が非常に大きかった。現金をもらえなくなった議員たちからは一部ではあるが不平の声が上がったし、結局当初私が目指していたインターネットによる政治資金収支の公開は見送らざるを得ない結果になった。
しかし情勢の変化は意外と早く訪れた。参議院選挙の敗北、日歯連から橋本派に対する1億円献金問題等が発生したためである。参院選後安倍幹事長に呼ばれ、党改革検証・推進委員会の事務局次長となって改革着実な実行の全体コーディネートをすることと、日歯連事件を受けての政治とカネに関するさらなる改革メニューの検討を命じられた。
事務局長の塩崎恭久議員と入念に打ち合わせをし、すでに辞任表明している安倍幹事長の残存任期中に改革を後戻りできないレベルにまで進めるために、タスクフォースを編成し、中間提言の改革メニューを細分化して、それぞれに担当責任者を置き、きめ細やかな工程管理をしながら進めていくことにした。各責任者には党改革に知見・経験と情熱を持つ若手議員を選任し、その補佐役として有能な党職員若手を配置して推進体制を整えた。その結果中間提言で示された改革メニューの具体化は驚くほど急速に進展し、候補者公募制度の詳細や、議員による人事に関する自己申告制度の導入、広報戦略の構築へ向けたコミュニケーション戦略統括委員会の創設などが続々と決まっていったのである。
私が中心となって進めた政治とカネの問題については、インターネットによる党および所属議員の政治資金収支報告の公開、政治献金を現金や小切手で受け取ることの禁止、収支報告の際の残高証明の添付義務付け、政治家個人への政策活動費の支給の廃止などを盛り込んだ。どれも従来の感覚で考えると自民党内で受容されるレベルをはるかに超える内容であったが、政治とカネに関する自民党への批判の高まりに強い危機感を持っていた安倍幹事長の決断で、党内の反対を押し切ってすべて断行することになった。
9月17日にはこれらの内容を党改革アクションプランとして発表した。また22日には有楽町マリオン前で安倍幹事長とともに街頭で党改革について訴えた。多数の聴衆が集まって、われわれ若手議員の訴える自民党改革への取り組みについて、熱心に耳を傾けてくれた。残念ながら安倍幹事長は辞任表明をしているが、今後とも党改革については何らかの立場で関わっていきたいと言ってくれている。
2004年04月27日
この原稿は埼玉8区補欠選挙での自民党公認柴山昌彦候補勝利のニュースがテレビから流れてくるのを聞きながら執筆している。先月のこのコーナーで書かせていただいたように、この補欠選挙は安倍晋三幹事長の主導する自民党改革の一環として、党として初めて全国公募により候補者を選考するなど、自民党の従来の選挙手法を根本から見直した選挙戦であり、この選挙で勝利したことの意義は非常に大きい。安倍幹事長にこの選挙を絶対に諦めずに逆に候補者選考過程の改革の一環として活用することを進言し、候補者選考から選挙戦略立案まで携わり、期間中も何度も所沢まで足を運んだ者として私も感無量である。
振り返るともともとは勝てるはずの無い選挙であった。前任者の選挙違反により自民党系の市議会議員や党支部幹部は軒並み逮捕され、一般党員の多くも警察による事情聴取を受けるなどして、地元の組織はガタガタで選挙など不可能な状態であった。そこに公募で選んだ政治経験のまったく若い弁護士を連れて行って、土地勘の無い党本部職員や他県の国会議員の秘書団が事務局としてサポートしようというのである。党の幹部からは「勝てるはずの無い選挙などしてどうするのだ。」とか「安倍幹事長を前に出して負けたら党のイメージに傷が付く。お前が責任取れるのか。」などと厳しい批判も受けた。
しかし候補者と選対スタッフが一体となってよくがんばってくれた。街宣車に乗ることよりも、イメージカラーのブルーに塗った自転車に乗って街中を走り回わることの方が多かった。毎晩夜11時まで所沢駅前にたって肉声で支持を呼びかけた。世論調査を決め細やかに行い、地域ごとに街頭演説の内容を変えたりもした。30歳代の主婦層の支持が弱いとの調査結果が出ると、みんなで知恵を出して、子育てを考えるイベントを実施したりもした。私も連夜、東京での仕事を終えた後所沢に行き、深夜までスタッフと作戦会議で熱い議論を戦わせた。終盤は安倍幹事長が連日選挙区入りして、声をからせて応援に走り回った。
その結果が今回の勝利であり、この勝利をきっかけに安倍幹事長主導の自民党改革が大きく前進することは間違いない。
現在私は安倍幹事長から新たな改革の指示を受けている。内容は政治とカネの面からの党改革を進められないかということである。自民党に限らず政治の世界にはお金の面でまだまだ透明性に欠ける部分が多い。例えば政治家各人の政治資金管理団体や政党支部の収支はいちいち総務省や都道府県選管に足を運ばなくては閲覧することができない。しかもコピーをとることは出来なくなっている。このIT革命の時代にインターネットで見ることが出来ないこと自体が問題である。自民党が他党に先駆けて、自主的に資金収支をネットで公表するような取り組みを検討していきたいと考えている。今回の選挙での勝利を弾みにして、次は政治とカネの関係を国民にとって透明で納得できる形に改革していきたい。
2004年03月16日
4月25日に埼玉8区において補欠選挙が行われることになっている。自民党議員の公職選挙違反による逮捕、辞職に伴う選挙であり、自民党にとって厳しい環境の中の選挙である。地元の市会議員や党支部幹部も多数逮捕されており埼玉県連は今回の候補者擁立を見送りたいとの意向であった。しかし、安倍晋三幹事長はこういう時だからこそあえて候補者を立てて、党本部主導で新しいタイプの選挙を戦うべきだと判断し、自身が委員長を務める党改革検証推進委員会に対して検討の指示が下った。
同委員会は政治と金の問題や候補者選考過程の透明化等、自民党の根幹にかかわる問題を徹底的に議論し、方向を出していく場であり、安倍委員長、塩崎恭久事務局長と8人の委員で構成され、私も委員に名前を連ねている。この委員会で議論した結果、候補者選考や選挙手法を抜本的に改革するモデルプロジェクトとして、今回の補欠選挙を活用しようということになった。特に今回の選挙は地元後援会を中心とした従来の選挙手法が全く使えないため、マーケティング理論を用いたイメージ選挙を展開せざるを得ないということで、NTTで企業広報の実務経験のある私がプロジェクトのチーフとなって進めていくことになった。
まずは候補者の公募から始めた。全国紙に広告を打ち、履歴書、プロフィールと政治理念に関する2000字の論文を添えて応募するように呼びかけたところ何と81人もの応募が殺到した。しかも履歴書をみたところそれぞれが個性ある優秀な人材である。自民党も捨てたものではないと思うと同時に、今までの閉鎖的な候補者選考がいかに優秀な人材を自民党から阻害してきたかを痛感させられた。
81人分の論文を私を含む4人の若手議員で審査して、23人にまで絞り込んだ。81人分の論文を読み、評価するのは大変な作業で、2晩ほど徹夜した。そして2月25日にベンチャー経営者や政治学者等の外部有職者に入ってもらって2次選考を行い、熱い議論の結果6人を最終選考に残すことにした。25歳から44歳まで、男性5人、女性1人という結果であった。
最終選考は3月3日、面接の形で行われた。安倍幹事長、青木参議院幹事長、町村総務局長ら党幹部と塩崎事務局長、そして私が審査員となった。これまでは論文とプロフィールしか見てこなかったため、どのような人物が登場するのか不安であったが、6人とも大変立派な人物で、幹部たちの鋭い質問に対しても堂々と受け答えをしていた。誰が候補者になってもいいような、甲乙付けがたい状況であったが、議論の結果、38歳の現役バリバリの弁護士が選考された。
候補者選考が終ると直ちに、その候補者と打ち合わせに入った。今回の選挙は最新の手法を使っていくので、候補者に対しては外部の専門家が付いて、洋服のアドバイスやスピーチや記者会見のトレーニングが行われた。今後も有権者の意識調査に基づく政策の打ち出しや、草の根ボランティアを中心とした選挙運動など、今まで自民党がやってこなかった手法を使って4月25日の投票日を目指していく。そしてこの選挙の成果を、自民党の新しい候補者選考、選挙運動のモデル(安倍モデル)として、今後の党の基盤強化につなげていきたいと考えている。
2003年04月18日
自民党内に「都市と農山漁村の共生・対流を進める調査会」という組織がある。道路整備の問題、税源の配分問題などで何かと対立の多い都市と農山漁村だが、これからは真剣に共存を考えていかなくてはならないということで立ち上げられた組織である。都市と農山漁村それぞれに人がお互いの地域の魅力を分かち合い、「人・もの・情報」の行き来を活発にしていくことで、都市と農山漁村の新たな対流が生まれ、共に生きる仕組みをつくることで、新たな日本再生の仕組みにしていこうというものである。政府の中には関係副大臣会議が設けられ、安倍官房副長官が座長を務めている。私もこの調査会に最初からメンバーとして参画し、和歌山県における緑の雇用事業の成功例などを紹介し、都市と山村の交流が大きなポテンシャルを秘めていることを主張してきた。
この調査会では都市と地方の交流に取り組むNPOの皆さんからのヒアリングも行ったが、その中でいろいろな問題点も明らかになった。特に改善の要望が強かったのが情報提供の方法を改めて欲しいということだった。農山漁村でのグリーンツーリズムや体験学習といった各種の制度や取り組みが各省庁や自治体レベルで導入されているものの、情報提供がばらばらに行われているため、国民やNPOにとってこれらの制度が分かりにくく使い勝手の悪いものになっているという問題点があるのだ。
そこで調査会ではポータルサイトとして機能するホームページを作って、都市と農山漁村の交流に関する情報を統合的に紹介してみてはどうかということになり、調査会の中に「交流情報小委員会」が設置され、私が副委員長としてホームページの運営方針などについて任されることになった。
実際のホームページの運営は「(財)都市農山漁村交流活性化機構」の中にある「都市と農山漁村の共生・対流関連団体連絡会」が事務局として担当して、4月からホームページでの交流情報の統合的提供がスタートしている。
決してお堅い情報提供ばかりではなく、ボランティア活動へのお誘いや環境保全運動、アウトドアライフ、各地の珍しい食べ物の情報提供なども行っている。まだまだ未完成のホームページなので、これからも改良を重ねていきたいと思う。たとえば緑の雇用のような農山漁村での就業体験談の紹介や、都会の人と農山漁村の人がテーマを決めて議論するBBS、ライブカメラや動画による風景の中継などがあっても面白いと思う。
ご家族でのゴールデンウィークのすごし方を検討されている方は是非このホームページを参考にされてみてはどうだろうか。例年とは一味違った休暇になるのではないか。またホームページではこの都市と農山漁村の交流を進める国民運動のネーミングを募集中である。是非応募していただきたい。(http://www.kyosei-tairyu.jp/)
2002年11月12日
今国会から自民党の国会対策副委員長を務めることになった。国対委員会とは法案審議等を円滑に進めるために各党が設けている窓口機関で、与党と野党間の水面下のせめぎあいが行われる舞台である。私は副委員長として総務委員会、農林水産委員会、憲法調査会の進行について責任を持つことになった。国対政治というと「料亭」とか「腹芸」といったイメージがついて回るが、私が見た限りではそのようなことはなく、与野党の折衝はあくまでも日中の会議室で行われる。
今国会には約90本の法案が提出されているが、法案を通過させるまでの作業は大変である。まず野党は形式的な本会議での趣旨説明と大臣出席の質疑を要求してくる。全議員が出席する本会議の開催日は限られてくるので、この要求をかけられると法案の審議が遅滞することになる。これを国対用語では「法案を吊るされる」という。
この「吊るし」の要求をうまく切り抜けて法案を委員会審議にまで持ち込んでからも難関がある。野党側は委員会の開催を原則として「委員会定例日」の「定時定刻」のスタートしか認めてはくれない。また必ず大臣の出席と答弁を求めてくるので、衆議院の委員会や本会議の日程、担当大臣の出張予定などの情報を収集して大臣が出席できるように調整しなければならない。政治改革の中でせっかく副大臣制度を導入したのだから、大臣に代わって副大臣の出席のもと実質的な審議ができればいいと思うのだが、野党にとっては大臣から答弁を引き出したいとの思いが強い。こういう苦労をして委員会を設定しても、予算委員会などで大きな問題が発生するとそれが解決するまでは審議が止まってしまうこともある。
こういう中を政府、与野党間を走り回って調整を行うのが国対委員会であり、国対副委員長はいろんなポストの中でもかなり「しんどい」仕事だといわれている。確かに拘束時間は非常に長く、常に国対委員会の部屋に詰めて、政府や野党の動きなどの細かい情報に耳をそばだてておかなくてはならない。自分の不手際で万一重要な法案が廃案になったりしたら大変なことであるから緊張度も高い。一方で今まであまり付き合いのなかった野党の議員とも攻守の立場を超えて人間関係の構築もできるなどやりがいのある仕事でもある。
国対歴の長いある先輩議員からは「国対は法案の中身になど関心を持たなくて良い。審議日程を頭に叩き込んで、法案を会期内に成立させることに徹するべきだ。」とのアドバイスをもらった。たしかに核心を突く鋭い指摘ではあるが、この言葉に今の国会審議の問題点が凝縮されている。与党は1本でも多くの法案を通そうとし、野党は逆に1本でも多く阻止することにこだわっている。国会は法案の中身の議論よりも、会期末までに「通す、通さない」の駆け引きの舞台となってしまっている。やはりこのあたりは早急な改革の必要を痛感する。今回の国対の実務の経験を通して、「会期の廃止と国会の通年化」、「法案の逐条審査導入」などの国会改革への見識を深めて行きたいと思う。