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【公式】世耕 弘成【和歌山から日本を再起動!!】
2011年10月15日
9月28日に参院予算委員会でTV中継入り質疑に立ちました。参院自民として野田内閣に初めて対峙する場であり、緊張感を持って臨みました。
私のテーマは、3次補正へ向けての与野党協議、台風12号への初動対応、沖縄での保守系公民教科書の採択問題などでしたが、特に台風12号被災地の思いを代弁する質問に注力しました。
台風が異常な長雨を呼び、土砂災害や水害が高い確率で発生すると予想されていた8月30日から9月2日にかけて、野田総理は首班指名されていたものの、組閣が行われず、菅内閣が職務執行内閣として実務にあたる極めて中途半端な状況でした。大規模災害が想定される際に重要な関係省庁連絡会議も立ち上げられていませんでした。
野田内閣は9月2日夕方にようやく組閣され、仕事をスタートさせますが、台風と大雨による被害が一段と深刻化していく状況であるにもかかわらず、内閣発足の喜びに酔っていたのでしょうか、迅速な対応は行われず、災害対策基本法が定める「非常災害対策本部」が内閣に設置されたのは内閣発足の翌々日の夜のことでした。
その頃には紀伊半島では多数の人命が失われ、多数の集落が孤立状態でした。明らかに野田総理が党内バランスに配慮した人事を行うために組閣に時間をかけたことと、内閣発足後も迅速な危機管理組織の立ち上げが行われなかったことが対応の遅れにつながったと言わざるを得ません。
質疑の中では、深刻な過疎地域である紀伊半島の被災地の復興には、国が全面に出て東日本大震災並の対応を行うべきであること。今回の台風で国道168号と311号は災害に脆弱であることが判明し、東南海・南海地震の際には国道42号も寸断されるという想定の中で、大地震対策という観点からの高速道路を含む紀伊半島の道路網整備・強化が重要であることも指摘させてもらいました。
実は質疑の日の朝にかねて療養中の父が危篤状態となり、万一の場合最期を看取ることは出来ないとの覚悟で質問に立っておりました。父は何とか持ちこたえてくれ、私はこの日の国会終了後、大阪の近大病院に駆けつけて翌日早朝に逝去した父を見送ることが出来ました。麻酔により意識不明でしたが病室で私の質疑の放送を流していてくれたそうです。まさに私の予算委員会の質疑が終わるのを待っていてくれたかのように感じています。
2011年09月28日
参議院 予算委員会 で質疑に立ち、地元 和歌山県 に甚大な被害をもたらした 台風12号 への政府の初動対応や被災地対策を中心に、第3次補正予算案をめぐる野党との事前協議のあり方、沖縄県八重山地方の教科書採択問題等を問い質した。自民党の質疑は野上浩太郎議員、衛藤晟一議員、猪口邦子議員、森まさこ議員、礒崎陽輔議員の合計6名で計約6時間。
2011年09月28日
参議院 予算委員会 で質疑に立ち、地元 和歌山県 に甚大な被害をもたらした 台風12号 への政府の初動対応や被災地対策を中心に、第3次補正予算案をめぐる野党との事前協議のあり方、沖縄県八重山地方の教科書採択問題等を問い質した。自民党の質疑は野上浩太郎議員、衛藤晟一議員、猪口邦子議員、森まさこ議員、礒崎陽輔議員の合計6名で計約6時間。
2011年09月27日
台風12号による未曾有の大災害で県内で多数の尊い命が失われました。亡くなられた方に心から哀悼の誠を捧げると共に、被災された皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
私は直後から古巣のNTTに連絡して固定電話、携帯電話の早期復旧や臨時通信手段の確保に取り組んできた。また被害を受けなかった紀北の支持者からのミネラルウォーター等の取り次ぎも行い、断水に苦しむ地域に届けるといったことも行ってきた。
ただ現地の視察だけは自粛してきた。政府の災害担当の役職にない一国会議員が現場に入ってもできることは限られている。議員が現地に入るだけで、必死に対応にあたっている行政関係者の足手まといになりかねない。こういう災害が発生した時には視察に来た大臣等の後ろに立って必死にマスコミのカメラに映り込もうとする政治家がいるが、見苦しいパフォーマンスだと言わざるを得ない。
発災から数日たって、野田首相や谷垣自民党総裁の視察を受け入れることができるようになったことを受け、私も現地に入りすることにした。現地自治体の担当者に迷惑をかけないように配意し、一部を除き地元の県議、市町議や後援会幹部に案内してもらうようにした。
9日から11日まで3日間かけて、那智勝浦、新宮、旧熊野川、古座川、田辺、日高川、旧本宮、旧龍神の被災地をみっちりと回らせてもらった。また18日にはみなべ町の状況も視察した。
あまりの惨状に言葉も出なかった。山が頂上からえぐり取られるように崩落し、住民が行方不明になっている現場にも入った。家の上に家が載っていたり、崖の中腹に車がぶら下がっていたり、私がよく通った森林組合や道の駅が建物ごとなくなっていたり、橋が落ちていたり、まさに「山の津波」におそわれたという状況であった。東北の被災地を何度も訪問しているが、今回の被災地も同じような光景だ。
今回の被災地はすでに過疎化に苦しんでいる地域である。20日に激甚災害指定が閣議決定されたが、従来の激甚災害対策の枠組みには限界がある。甚大な被害を受けた過疎地域の復旧のために補助金のかさ上げや無利子融資を提供しても受けるだけの基礎体力がない。東日本大震災の被災地と同じように国が前面に出て復旧を行っていくしかない。
また、これからは家屋に積もった泥や瓦礫(がれき)の清掃・撤去を行う段階に入ってくるが、やはり民間ボランティアの協力が不可欠だ。すでにボランティアセンターが開設されているが、東北で活躍した有力なボランティア団体等を受け入れていくことも重要だ。
深刻な被災状況については枚挙にいとまがないが、今後の復旧や生活、地域経済への影響を考えた場合に深刻なのは幹線国道、鉄道が深刻なダメージを受けていることだ。崖崩れや路面崩落により国道168号は緊急車両以外通行できない部分がある。国道311号の滝尻王子付近は土石流で埋まって完全に寸断されている。紀勢線はいまだに鉄橋の復旧が進まないまま不通区間がある。まずは交通インフラの完全復旧を急ぐことが重要で、このことが他分野での復旧のスピードアップにもつながり、紀南の生命線である観光産業の復興にもつながる。 和歌山県にとっては大きな試練となった今回の災害であるが、県選出の参議院議員として復旧・復興に全力で取り組んでいきたい。
2011年09月17日
台風12号により県内で多数の尊い命が失われました。亡くなられた方に心から哀悼の誠を捧げると共に、被災された皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
私は直後から古巣のNTTに連絡して固定電話、携帯電話の早期復旧や臨時通信手段の確保に取り組んできました。また被害を受けなかった紀北の支持者からのミネラルウォーター等の取り次ぎも行い、断水に苦しむ地域に届けるといったことも行ってきました。
ただ現地の視察だけは自粛してきました。政府の災害担当の役職にない一国会議員が現場に入っても出来ることは限られています。議員が現地に入るだけで、必死に対応にあたっている行政関係者の足手まといになります。こういう災害が発生した時には視察に来た大臣らの後ろに立って必死にマスコミのカメラに映り込もうとする政治家がいますが、見苦しいパフォーマンスだと言わざるを得ません。
発災から数日たって、野田首相や谷垣自民党総裁の視察を受け入れることができるようになったことを受け、私も現地入りすることにしました。現地自治体の担当者に迷惑をかけないように配意し、一部を除き地元の県議、市町議や後援会幹部に案内してもらうようにしました。
9日から11日まで3日間かけて、那智勝浦、新宮、旧熊野川、古座川、田辺、日高川、旧本宮、旧龍神の被災地をみっちりと回らせてもらいました。あまりの惨状に言葉もありませんでした。家の上に家が載っていたり、崖の中腹に車がぶら下がっていたり、私がよく通った森林組合や道の駅が建物ごとなくなっていたり、まさに「山の津波」におそわれたという状況でした。
深刻な被災状況については枚挙にいとまがありませんが、今後の復旧や生活、地域経済への影響を考えた場合に深刻なのは幹線国道、鉄道が深刻なダメージを受けていることです。崖崩れや路面崩落により国道168号は緊急車両以外通行できない部分があります。国道311号の滝尻王子付近は土石流で埋まり完全に寸断されています。鉄道は白浜で折り返し運転の状況です。
まずは交通インフラの復旧を急ぐことが重要で、このことが他の復旧のスピードアップにもつながります。一日も早く政府に激甚災害指定を求め、復旧予算を確保できるよう取り組んでいきます。