2014年02月03日
―安倍総理の施政方針演説を作成―
2013年10月01日
9月4日から9日にかけて、安倍総理とともに2泊6日という想像を絶する強行日程でロシアのサンクトペテルブルグにおけるG20サミットと、アルゼンチンのブエノスアイレスにおける国際オリンピック委員会総会に出席してきた。 まず9月4日午後に政府専用機で羽田を出発。現地時間その日の夕方にサンクトペテルブルグに到着。到着後直ちにイギリスのキャメロン首相との電話会談が設定された。両首脳はG20サミットでシリアへの人道支援で両国がリードしていくことを確認した。
翌日は早朝7時半からプレゼンテーションのリハーサル。時間をかけて何度も行われた。われわれフロアに座るメンバーも拍手の練習までした。 それらを全部終え、専用機に搭乗したのは深夜0時過ぎ。そのままロサンゼルスまで飛び、いったん給油。そして東京へと帰ってきた。
たった6日間(しかも2泊)の出来事とは思えないくらい、充実した内容の出張であった。ハードスケジュールではあったが、疲れを感じる余裕がないくらい息の抜けない内容でもあった。この歴史に残る安倍総理の出張に官房副長官として同行し、あらゆる面で総理をサポートできたことは、自分にとっても一生忘れられない思い出になると思う。
2013年08月06日
去る7月21日に投開票が行われた参議院選挙で、私は33万7477票という大量の得票と77.3%という圧倒的な得票率を頂いて4期目の当選を果たすことができた。特に77.3%という得票率は和歌山県の参議院選挙史上トップの記録となる。
今回の選挙は、官房副長官としての公務をこなしながら、また安倍総理の指示で全国33都道府県の他候補の応援に入りながらの選挙で、和歌山にはたった3日間しか入ることができなかった。
そんな状況にもかかわらず、こういう立派な成績で当選させていただいたことをしっかりと胸に刻み込み、4期目の職務をしっかりと果たしていきたい。テレビで当確報道が行われた直後から猛スピードで動きを始めている。
中国や韓国が欧米で大量の予算と人的資源を投下して展開する広報戦略に対して、日本としてどのように対応していくのかについて考えるプロジェクトチームが立ち上がり、私がリーダーとなった。
さらに総理は8月下旬には中東4カ国歴訪、そして9月上旬にはロシアのサンクトペテルブルグで開催されるG20サミットに出席する予定で、私も同行するため、色々と準備も進めなくてはならない。
選挙直後というのは、通常は地元に張り付いて、お世話になった方々にあいさつ回りをするものだが、それもままならない。安倍総理という日本国のトップを支えて頑張っていることに免じて、ご理解をいただきたいと思う。
2013年05月21日
4月28日から5月4日の日程で、官房副長官として安倍総理のロシア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコの4か国歴訪に同行した。5泊7日で4カ国を回る強行日程であった。
安倍総理はロシアのプーチン大統領との会談では平和条約交渉を再スタートし加速化させることで合意。アラブ首長国連邦とトルコでは原子力協定に署名。そしてトルコでは猪瀬東京都知事のオリンピックに関連した失言に対応してスピーチでリカバリーショットを打つなど、非常に充実した内容の出張であった。
参議院選挙をまぢかに控えた私にとって、地元和歌山に帰らず海外出張することは非常に辛いのだが、安倍総理とプーチン大統領との歴史的な首脳会談に同席するなど、政治家としていい経験を積むことができた。会談内容等はすでにメディアで十分報道されているので、総理の外国出張時の官房副長官の役割についてお話ししたい。
さらにそのあとは記者団との懇談がある。ここでは会談の雰囲気やエピソードとして使えるジョーク等の内容について伝えることになる。この懇談で副長官が話した内容は「政府筋(または同行筋)によると」という書き方で記事にしてもいいルールとなっている。
首脳会談以外でも、総理と同行記者団との「内政懇談会」の準備と同席、相手国首脳と総理の共同記者会見や総理の内外記者団に対する記者会見の準備と同席、などいろいろな仕事がある。また晩餐会や歓迎式典にも同席するが、私の隣には相手国の外務大臣や官房長官が座ることが多く、外交の場として気が抜けない。
このように総理の外遊に同行する官房副長官は多忙を極めることになる。
私のブログ「世耕日記」(http://blog.goo.ne.jp/newseko)は最近少々スタイルを変更し、従来の日記形式に加えて、上記のような生々しい動きを伝える「主張」、「雑感」のカテゴリーを追加した。一度訪問してみてほしい。
2013年03月19日
官房副長官という役職は、総理大臣と官房長官を助けて、国政全般にわたり、重要事項の企画立案や省庁間の調整を行うのが主たる任務である。首相官邸の総理と同じフロアにオフィスを与えられ、総理から次々と降りてくる特命事項に取り組んでいかなくてはならない。また総理の外遊の際には首脳会談等に同席し、サポートするのも仕事である。
最近は省庁単独で整理できる問題は少なく、何らかの省庁間の調整が必要になる。そういった案件はすべてまず副長官のところに上がってきて、調整を行うことになる。
私の日々の日程は超過密状態である。一日に何度も入る総理との打ち合わせ、経済財政諮問会議等の会議、相談に訪れる各省幹部、外国からの来客、総理の代理として応対する各種団体、自治体等からの要望活動、等々分刻みで日程が組み立てられている。さらに参議院から出ている副長官として、参議院自民党幹部との各種連絡・調整も重要な仕事だ。
また危機が発生した場合にはいかなる時でも官邸に駆け付けなくてはならない。このため、安全保障上の緊迫状態にある時には週末であっても官邸近辺で待機しなくてはならない。
私が副長官として気を付けていることが2点ある。
まず1点目は政治家としての目で官僚の動きをウォッチすることである。官僚は優秀でよく働く。安倍政権は民主党のように官僚を排除するような愚挙は行わないが、官僚の目では事態を見誤る部分があるので、注意が必要だ。総理のアジア歴訪中に発生したアルジェリアでのテロ事件の際は、外務省の官僚は予定通り外交日程をこなすことを主張したが、私が「それでは国民の理解は得られない」として、日程短縮を主張し、実現した。
2点目は、危機の芽を早めに見つけて、きちんと対処することである。北京の大気汚染がやがては日本に影響することを見越して、実は私の下に関係省庁幹部を呼び集め、注意喚起する基準値の設定や国民への伝達方法の確認、自治体との連携、マスクや空気清浄機の在庫の確認等々の準備に1月から着手していた。
今回の安倍内閣が一定期間続くことができるかどうかに日本の運命がかかっていると考えている。官房副長官として全力でこの内閣を支えていきたい。