2011年02月19日
1月24日から第177通常国会が始まりました。民主党政権下で日本が融解していく中、政治をまともな姿に戻す正念場の国会だと思っています。そんな厳しい国会ですが、24日の開会式の風景を描写することを通し国会ってどうな形で始まるのかをお伝えしたいと思います。
まず朝10時から参議院本会議。この本会議は5分程度で終了しますが、議席の指定と特別委員会の設置の手続きが行われます。常任委員会と異なり災害対策等の特別委員会は会期毎に議決して設置されます。ただ事前に各党が合意している場合が多いので、いちいち投票は行われず、「異議無し」の確認だけで議決されることが通例です。
その後、各党で両院議員総会などを行い、開会へ向けての気合い合わせが行われ、12時45分には国会正門前に議事堂に向かって左に衆議院議員、右に参議院議員がずらっと整列して天皇陛下のお出迎えを行います。ナンバープレートが付いていない天皇陛下の御料車「ロイヤルセンチュリー」の車列が皇宮警察の先導で正門をくぐり正面玄関に横付けされます。その間、我々は最敬礼してお迎えします。
午後1時から参議院本会議場にて開会式が行われます。天皇陛下のお席は参議院にしかありません。よって参議院本会議場が開会式の場となります。全員が起立してお迎えする中、天皇陛下が入場着席されます。衆議院議長が式辞を述べ、続いて天皇陛下のお言葉をいただきます。お言葉の間は低頭して謹んでお言葉を伺います。終了後、天皇陛下がご退出。再び正門前に議員が整列し陛下をお見送りします。
残念なのは、天皇陛下の送迎や開会式をさぼる議員が少なくないことです。国会は憲法7条に基づき天皇陛下の名前で召集されます。開会にあたり、陛下のお言葉を聞くことは、国民の代表たる国会議員として非常に重要な憲法上の職務なのですが、その点を理解していない人が多いようです。
天皇陛下をお見送りした後、衆参でそれぞれ本会議が開催され、菅首相の施政方針演説をはじめ、外務大臣の外交演説、財務大臣の財政演説、経済財政担当大臣の経済演説が行われ、国会論戦がスタートします。
国会には超党派の和装議連というのがあり、毎年通常国会の開会式には和装で出席することになっています。議連メンバーの私も今年は和装で参加しました。同僚議員に七五三、落語家などと冷やかされましたが、きりりと引き締まった思いになりました。
2011年01月24日
第 177回通常国会の召集にあたって超党派の有志議員でつくる 和装振興議員連盟 の一員として和装で登院し、開会 式が開かれる参議院の本会議場に天皇陛下をお迎えして、国会の中央玄関前で記念撮影を行った。通常国会の会期 は6月22日までの150日間で、召集日に衆参両院の本会議で総理の施政方針演説をはじめとする政府4演説を行う。
2010年12月18日
去る3日に臨時国会が閉会しました。補正予算以外の法案の成立率は3割台に止まり、政策議論が低調な国会でした。民主党政権が尖閣諸島問題をはじめとする外交防衛問題で大失態を重ね、言論の自由に関わる通達が防衛省から発出されたり、閣僚が次々と失言、暴言を繰り返す中で、野党としてある程度その種の問題に質疑の時間を割かざるを得ない状況でした。また自民党は補正予算の対案を出しましたし、私も含めて政策の中身に踏み込んだ質疑をしている議員が多数いましたが、残念ながらその部分はメディアで取り上げられることはほとんどありませんでした。
私は予算委員会で2回、NHKテレビ中継入りの質問に立つ機会が与えられました。参議院自民党は中曽根議員会長の下で、予算委員会の質問者は年功序列や派閥推薦に関係なく、政策テーマや質問力に応じて決めるよう改革を進めています。
私が質問に立ったのは補正予算審議初日の11月18日と最終日の26日でした。18日の方は審議の冒頭で民主党政権を追い込むという党の方針を背負っての質問で、大変なプレッシャーでした。また執行部の一員としてこれまで質問に立つ議員に厳しい注文を付けてきただけに、失敗の許されない質問となりました。政策の質問も用意していたのですが、党の方針に基づいて、冒頭で柳田法務大臣失言問題と防衛省通達問題を追及することになり、あまりに拙い答弁に対して、何度も波状質問する羽目になり、また防衛省通達問題を追及する中で、仙谷官房長官が「暴力装置」発言をしたこともあって、政策にはほとんど時間を割くことが出来ませんでした。しかし私の質疑とそれに対する大臣達の答弁はお昼のNHKニュースから始まって、夕方から夜の全てのニュース番組でトップニュースとして取り上げられ、柳田大臣を辞任に追い込み、仙谷官房長官の問責決議案可決へと繋がっていきました。
26日の最終日は防衛省の通達問題を論理的に追及し、北澤防衛大臣はほとんど立ち往生状態でした。
このように臨時国会では役目柄民主党の失態を突く質問が中心になりましたが、来年1月から開催される通常国会では、政策テーマを軸にした質問もしていきたいと考えています。
2010年12月14日
去る12月3日に臨時国会が閉会した。補正予算が成立したものの、法案の成立率は3割台で、成果の少ない国会であった。また民主党政権の尖閣問題など外交問題での失態や、大臣の暴言、失言が相次ぎ、野党としてはそういった部分に質疑時間を取られる結果となってしまった。
私は予算委員会のNHK中継の補正予算審議で2回、約3時間質問に立った。1回目は補正予算審議初日の11月18日。2回目は最終日の26日であった。1回目の質問では、政策分野の議論も準備していたが、自民党幹事長代理という役目上、柳田法務大臣の失言問題と防衛省の通達問題が主な質問になった。結果、柳田大臣の法相としての適性欠如が明らかになり、辞任に追い込む結果となった。また防衛省通達問題の質疑中に仙谷官房長官から「自衛隊は暴力装置」との発言が飛び出し、同長官の問責決議可決へと繋がっていった。
2回目は防衛省通達問題を中心に質問した。この問題は言論の自由を侵しかねない、民主主義の根幹にかかわる問題だ。
防衛省は11月3日の入間基地で開催された航空ショウに来賓として出席した自衛隊協力団体の長が政権批判をしたことを問題視し、事務次官名で「基地内の行事では来賓に政治的発言をしないよう要請し、聞き入れない場合は出席させないこと」、「基地外の行事に招待される場合には、行事に政治的内容が含まれていないことを確認し、確認できない場合は出席しないこと」という趣旨の通達を全自衛隊基地に流したのである。
私の質問に対して北澤防衛大臣が答弁でよりどころとしたのは、政治的中立を規定する自衛隊法61条と関係政令であるが、来賓の挨拶で自衛隊の政治的中立が損なわれるとは思えない。また国家公務員法もまったく同じ文言で政治的中立を求めており、大臣の主張通りならば国家公務員全体に対して同様の通達を出す必要がある。
また北澤大臣は「施設内で自衛隊員が聞こえる状態で最高指揮官への批判が行われたことが問題」とした。ならば菅首相を厳しく批判している自民党や私のホームページが自衛隊のパソコンで見られることも問題視しなくてはならなくなる。
このようにこの通達はまったく論理的に破綻しており、北澤大臣もその内容を十分に理解していないことも判明した。
自衛隊員は文民統制のもと、問題のある通達であっても忠実に対応する。基地に来る来賓や一般の施設で講演する人などに、発言内容を事前確認することになり、自衛隊員による事前検閲が行われることになる。
また自衛隊と地域社会の信頼関係も崩壊する。和歌山でも東南海南海沖地震に備えて、いざという時に災害救助に派遣される自衛隊とは日頃から情報交換と信頼関係を構築しておくことは極めて重要である。しかし現場にこのような通達が流され、日頃自衛隊に協力してくれている人の発言を検閲するとなると、信頼関係は一気に崩れることになる。
私の度重なる通達撤回要求を防衛大臣は拒否し続けている。この問題は民主主義の根幹にかかわる問題であるので、引き続き追及を続けていきたい。