2009年10月06日
私は、今回の総裁選で河野太郎衆議院議員を候補として擁立することに奔走した。総選挙での敗北の真の原因である自民党の古き体質を一掃して、聖域無き党改革を断行できる人物は河野太郎氏しかいないと考えたからである。自民党を生まれ変わらせるためには派閥の影響力の排除や公認候補の差し替え、党職員のリストラなどなど、相当荒っぽい仕事を断行しなければならない。河野太郎氏のような強烈な突破力を持った総裁を誕生させる必要がある。もちろん擁立にあたっては河野氏本人と膝詰めで個別の政策について議論し、「良質な保守」を目指すということを柱に据え、党改革、参院選対策以外の個別の政策については党内の議論に耳を傾けるということも確認した。
総裁選挙に出馬するためには「20名の推薦人」を集めることが条件となっている。総選挙大敗の結果、議員数が199名とほぼ半減した中で20名の推薦人を集めることは至難の業であった。また各議員に有形無形の圧力がかかったし、複数の若手議員が名乗りを上げたこともただでさえ困難であった推薦人集めを一層難しくした。しかし若手数名で議員一人一人を訪ねて説得した結果、何とか20名の推薦人を集めることに成功した。
告示後の選挙運動も難行苦行であった。派閥や団体の応援がないことに加えて、河野太郎陣営には参加してくれる議員は推薦人プラスアルファ程度なので、47都道府県の党員に対する働きかけも十分出来ない。また党本部の選管が選挙期間中に3候補揃っての街頭立会演説会を和歌山市はじめ全国11ブロックでセットしたため、河野太郎候補本人がほとんどそちらに拘束されてしまい、陣営独自の活動が十分にできなかった。それでも合間を縫って東京は有楽町、新宿、池袋、大阪は難波でゲリラ街頭演説を行い、埼玉県の狭山茶農家との懇談と畑の視察も行ったりするなど、候補者を体力の限界まで酷使して選挙戦を戦った。
街頭演説での河野候補への反応は非常によかった。予告や動員を一切していないのに、数百人規模の聴衆が集まってくれた。また3候補揃っての街頭演説でも河野太郎候補の演説が一番パワフルで説得力があったとの反応が多かった。しかし計算外だったのは野党の党首選挙であるためマスコミが大きく取り上げることが少なかったということである。自民党総裁選のニュースはいつも天気予報の後に回されることが多かった。河野太郎候補のパワーがメディアを通じて流れることが少なく、国民的な支持に広げることはできなかった。それでも直前のテレビ局の世論調査では河野40%、谷垣30%となっていた。
28日の投開票で和歌山では4票の党員票のうち3票が河野議員に回るというありがたい結果となったが、全体的には谷垣300票(党員180、議員120)に対して河野144票(党員109、議員35)という敗北に終わった。しかし派閥や団体の応援がないのに、党員票の3分の1を確保できたということには大きな意味がある。新執行部はこの109票の党員の声をしっかりと受け止めてほしいと思う。
2009年09月28日
自民党総裁選 の 河野太郎 候補や陣営幹部と永田町の 日枝神社 で必勝祈願を行い、決起集会で候補者の最後の決意表明を聴き、一致結束して投票会場へと向かった。投開票の結果、谷垣禎一候補300票、河野太郎候補144票、西村康稔候補54票で、谷垣禎一候補が第24代総裁に選出された。
2009年09月27日
明日いよいよ投開票を迎える自民党総裁選の 河野太郎 (46)候補の街頭演説会がJR有楽町駅マリオン前で開かれ、有志議員たちで国民に世代交代や若手候補者への支持を訴えた。演説会には 平沢勝栄 議員、 山本一太 議員、 柴山昌彦 議員、 平将明 議員らが応援に駆けつけた。
2009年09月24日
JR池袋駅東口前で9月28日投開票の自民党総裁選に出馬した 河野太郎 (46)候補の街頭演説会を開き、有志議員たちと国民に対して世代交代や若手候補者への支持を訴えた。演説会には 山本一太 議員、 大村秀章 議員、 平将明 議員、 義家弘介 議員らが応援に駆けつけた。
2009年09月20日
JR和歌山駅前で開かれた党本部主催の 自民党総裁選挙 街頭演説会に参加して、地元市民に対して 河野太郎 (46)候補への支持と世代交代や党改革の必要性などを訴えた。大阪難波駅前で河野太郎陣営主催の街頭演説会を行い、街を行き交う国民に対して若手候補者への支持を訴えた。