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和歌山新報「がんばってます」/山中伸弥さんの思い出

2012年10月16日

山中伸弥さんの思い出

―同級生のノーベル賞を祝福―

10月8日に京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞した。心からお祝いしたい。彼の研究するiPS細胞は、今後難病に苦しむ患者さんの治療等での活用が期待されている。また創薬の面で活用が進めば、臨床試験等が大幅に短縮され、新薬開発のスピードが速くなることも期待できる。今回の受賞を機に一層の研究の進展を期待したい。

実は山中伸弥君は、私の中学・高校(大阪教育大学附属天王寺)の同級生である。

当時は家も徒歩10分程度と近所で、毎日一緒に通学し、日曜日にはお互いの家を行き来して遊んだものだ。
中学3年の時は私が生徒会長、彼が副会長で生徒会活動でともに汗をかいた。

高校の時(彼は中学時代から)は柔道部で一緒に活動もした。同じく同級生である奥さんの知佳さんとは中学時代に英語クラブで一緒だった。
卒業後も私が帰省するたびに、同級生と大阪で共によく飲み歩いたりしてきた。

そんな友人の受賞は心から嬉しく、彼と同じ学校で過ごしてきたことを誇りに思っている。

彼は、中学時代から成績優秀だったが、ガリ勉タイプでは全くなかった。

学校に参考書を持ってくることもなく、人前で勉強しているところを見せることはあまりなかった。塾や予備校にも行っていなかった。昼休みになれば、グランドに出て遊び、放課後は日が暮れるまで柔道の練習に精を出す。練習が終わったら、近所のお好み焼き屋で空腹を満たす。そんなタイプの生活だった。

それでいて、テストになると学年トップの成績をたたき出す。家に帰ってから黙々と勉強していたのだろう。本当に優秀な友人であった。でも堅苦しいところはない。
 

口数は少ないが、良く酒も飲むし、付き合いもいい。高校の修学旅行で夕食会の出し物で、一緒に仮装してラインダンスを踊ったりもした。そんな茶目っ気もある。 中高時代の日曜日にはよく一緒に遊んだ。当時はテレビゲームなどないから、自転車で近所を徘徊したり、六甲山へハイキングに行ったりした。当時発売されたばかりのテープレコーダーを使って、模擬ニュース番組のようなものを作ったりもした。 高校生の頃、「地震に備えて、大阪の学校から自宅まで歩いてみよう」と企画し、もう一人近所に住んでいた浅田君(現・日本銀行システム技術担当参事役)と3人で日曜日に始発の電車で学校まで行き、約30キロの道のりを、途中山越えをしながら、日没までかけて歩き抜いた。

それ以来長距離ウォークにはまって、京都―奈良間など、目標を決めて一緒に歩いた。

国会議員になってからは、彼の研究を陰ながら予算確保などで支援してきた。

彼は最初から恵まれた研究環境にあったわけではなかった。まだ奈良先端技術大で助教授だったころ、彼は「1回視察に来てくれよ。国会議員だから学長室に通されるだろう。そこで俺が『おお世耕!』と言って入っていくんだ。そうすると大学での扱いが変わるかもしれないから」などと冗談半分で言ってきたりした。

また首相補佐官をやっていたころには「金が足りない。首相に直訴して予算を取ってくれ」と悲痛な陳情を受けたこともあった。

そんな付き合いをしてきた友人のノーベル賞受賞。発表日の夜は同級生5人で思い出話をしながら深夜まで飲んだ。

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