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ニュース和歌山「国政直送便」/わが友 山中伸弥教授

2012年10月20日

わが友 山中伸弥教授


ノーベル賞に輝いた京都大学の山中伸弥教授は、実は私の中学・高校(大阪教育大学附属天王寺)の同級生です。当時は家も徒歩10分程度と近所で、毎日一緒に通学し、日曜日にはお互いの家を行き来して遊んでいました。

中学3年の時は私が生徒会長、彼が副会長で生徒会活動に力を入れました。高校の時は柔道部で一緒でした。同じく同級生である奥さんの知佳さんとは中学時代に英語クラブで一緒でした。卒業後も私が帰省する度に同級生と大阪でよく飲み歩いてきました。

そんな友人の受賞は心から嬉しく、彼と同じ学校で過ごしてきたことを誇りに思っています。彼は中学時代から成績優秀でしたが、ガリ勉タイプでは全くありません。学校に参考書を持って来ることもなく、人前で勉強しているところを見せることもありませんでした。塾にも通いませんでした。昼休みになれば運動場に出て遊び、放課後は日没まで柔道の練習に精を出すという生活でした。

それでいてテストになると学年トップの成績でした。本当に優秀な友人でした。でも堅苦しい人物ではありません。口数は少ないが、良く酒も飲むし、付き合いもいい。高校の修学旅行で夕食会の出し物で、一緒に仮装してラインダンスを踊ったりもした。そんな茶目っ気もあります。

中高時代の日曜日にはよく一緒に遊びました。六甲山へハイキングに行ったり、当時販売されたばかりのテープレコーダーを使って、模擬ニュース番組のようなものを作ったりもしました。

高校生の頃、「地震に備えて、大阪の学校から自宅まで歩いてみよう」と企画し、日曜日に始発の電車で学校まで行き、約30キロの道のりを、途中山越えをし日没までかけて歩き抜きました。


国会議員になってからは彼の研究を陰ながら予算確保などで支援してきました。奈良先端技術大で助教授だった頃、彼は「1回視察に来てくれよ。国会議員だから学長室に通されるだろう。そこで俺が『おお世耕!』と言って入っていくんだ。すると大学での扱いが変わるかもしれないから」と冗談半分で連絡してきたこともあります。

また首相補佐官をやっていた頃には「資金が足りない。首相に直訴して予算を取ってくれ」と悲痛な陳情を受けたこともありました。そんな付き合いをしてきた友人のノーベル賞受賞。発表日の夜は同級生5人で思い出話をしながら深夜まで飲みました。

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